この話はとりあえずここまで。
posted at 14:58:38
昭和20年で他県では終わった燈火管制が沖縄では昭和30年代も継続していた、という証言と捉えることもできるかな、と聞きながら思った。こういう話を聞くと、沖縄の「戦後」はいつまでなのだろう、と思ったりする。
posted at 14:49:04
燈火管制というとgoogle検索リンク先のように戦時中を私も連想する。ところが當間さんによると「米軍占領下の沖縄、米軍命令による燈火管制があった。沖縄本島中が真っ暗になるが琉大寮の学生は従わず灯りが消えていない、琉大寮だけ、というのを高校生は聞いていた」と。昭和30年代沖縄の燈火管制。
posted at 14:42:04
燈火管制 石川清勝 寒き夜の燈火管制のサイレンは島をふるわせ今鳴りやまず 政治眼もっと鋭くせよと言う北風はげし立合演説 今日もまた土地を失う島人に悲しき運命刻々とせまる 民衆の不穏な空気たちこめし四原則の県民大会 (以上4首、レジュメからの引用)
posted at 14:21:46
當間實光さんが「戦後高校生はどのような短歌を詠んだか」と題して昭和31年以降の那覇高校文芸誌(「車輪」2~7号、8号からは「那覇高文芸」として12号まで)に載った短歌を引用してくださったのだが、その中に「燈火管制」と題された短歌があって「これは解説が必要でしょう」と解説された。
posted at 14:15:05
昨日の短歌研究会「沖縄短歌のこれまで、これから」の余波で「燈火管制」についてgoogle先生に聞いてみたら、こんなサイトをおしえてくれた。 www.asaho.com/jpn/sansei/121…
posted at 14:11:45
暮らしやすい地域ってなんだろう、というのは思う。今なら女性が電話口に出るのだろうか。市長が変わってゴミ分別がどうなるのか、私は地域の中で見守る。公約、思い描いた夢と現実とが異なることはわかりきっている。この話はここまで。
posted at 09:32:26
承前)お問合せの電話番号に電話してみた。愛想ない口調の男性が電話口に出た瞬間、電話をかけたことそのものを大後悔したけど、仕方なくそのまま疑問を口にした。なんかよくわからないけど怒られた記憶(記憶なので改竄されてる可能性もある)。「燃えるゴミ」だということが判ったけど後味は不快。
posted at 09:26:07
今住んでる地域に私が引っ越してきたのはもう20年も前のことなんだけど、当時からゴミ分別は難しかった。ビニール・プラスチックは燃えないゴミだけど、生理用品のナプキン(紙パルプの間にビニールが一枚入ってるタイプ)はどの分別になるんだろう、と疑問に思いゴミ分別の用紙に書かれた(続
posted at 09:20:35
で、ふと思ったんだけど、先日の市長選挙でこのゴミ分別が争点のようなものになってような。この地域のゴミ分別は細かすぎる、もっと雑に…いや簡単に捨てられるようにする、という宣伝?公約?を現市長の支持者から聞いたような記憶があるんだけど私の記憶違いかもしれないので自信がない。
posted at 09:17:38
詰め替え用洗剤が入ってた容器は牛乳箱タイプの紙パックで、流出口のところだけがプラスチック。私が暮らしている地域は「プラスチックは洗って資源ごみ、紙も(洗って、プラスチックとは別の)資源ごみ」というところなので、牛乳箱を開く要領で開けて水で洗い、プラスチック部分を切り取って分けた。
posted at 09:13:24
おはようございます。日曜日の朝、「泡で洗う」タイプのハンドソープ容器が空っぽになりかけてたので以前、間違って買っちゃった「液で洗う」タイプの詰め替え用を入れて水で数倍に薄め懸濁して何事もなかったかのように置いてきたところ。今回ので詰め替え用は終わり、次は「泡」を間違えずに買う。
posted at 09:07:31