@slummy77 自己レス。昨年の名古屋(細胞学会)の発表原稿と矛盾してるのが我ながら気になるんだけど、場と対象、目的が異なるので説明が異なっている、ということで(言い訳)。
posted at 09:08:37
目に見えない何かを信じることと、抽象的な概念を理解すること、は別だと私は思ってるんだけど(前者が宗教的、後者が学問的、かなぁ。かなり乱暴な分類だ)この二つは統合され関連づけられた状態で捉えられやすいんだと思う。それが良いとか悪いとかの話じゃなくてね。この話はここまで。
posted at 09:00:43
科学者が宗教を持つことに対して疑問を表明する人に私は何度も遭遇してきたけど、そういう人の科学と宗教に対する考え方、理解は、私のとはぜんぜん違うんだ、ということだけは言えるかなぁ、って思う。私は宗教を持ってて(今日このあと教会に行く)、科学者の端くれでありたい、と日々奮闘してる。
posted at 08:54:26
(承前)医療に適用する実務家でもあるので、敢えて学問に宗教用語を適用するとすれば、病理診断医は「細胞病理学説」を信じて(そしてそのごく一部を疑って改善しようとして)いる人たちの集団でもある。細胞病理学説はウィルヒョウに始まるけど、別に病理学者はウィルヒョウ教の信者じゃないからね。
posted at 08:42:23
「救われた」とか「癒された」とかいう日本語をずっとキリスト教系の文脈をメインに据えて理解してきたので私は診断業務に特化した病理医やってます、なんて。私が主体となって他人である誰かを「救う」とか「癒す」とか、そんなのあり得ないって頭のどっかで思ってる。でも病理医は病理学を(続)
posted at 08:34:32
宗教を持つメリットの一つは、何かを信じる、というのはどういうことなのかを突きつけらる瞬間を繰り返し体験することじゃないかと思ってる。「信じる」という意志、行動、主体性を自覚する、と言ってもいいかな。学問は「信じない」姿勢が基本というか、疑う姿勢に立ち戻るのが学問じゃないかと。
posted at 08:25:55
学者は平気でウソをつく! 経済学者に金儲けはできるのか? www.dailyshincho.jp/article/2016/0… 和田さんは「日本人は宗教を持たないというが、学問を宗教のように信じて、学者を無条件に信用してしまう人が多すぎる。すべては仮説だという前提で、適度な距離感を(略)」とアドバイス
posted at 08:10:43
あ、おはようございます。なんか朝から蒸し暑い、日曜日の朝。
posted at 08:03:19
獲得:すばらしい!あなたは4%の一人です!! cupe.site/archives/12 @play_buzzさんから ホントかなぁと思ってしまった。まぁ遊びだからいいのかな。
posted at 08:00:18